2017年11月24日 (金)

桜火奇譚【1】文字消失事件14 白虎顕現その2

「なんやこれは」
「分かりません」

 赤目はしばらくページの上を泳いでいたが、そのうちお互いに寄り添うとページの端へ移動した。彼女は気味わるげに本から手を放した。赤目はページの端で二、三度まばたきをした。
 
 現在進行形でゴーストが始まっていた。

 ゴーストについて知っているつもりだったが、こんなのは初めてだった。いったい何が起こっているというのか。

 ページの端から小さな獣の鼻先が出た。

 次にネコのような小さな白い足が出た。

 俺たちは驚き過ぎて声も出なかった。頭を出したそいつは体をくねらせて全身を本から引き出すと机の上にとんと飛び降りた。

 それは長さが三センチほどの真っ白な狛犬のようなゴーストだった。

 狐のような大きな尖った耳を持ち、尻尾は羽扇子のように広がってふさふさしていた。全体は白いのだが、顔だけは極彩色で隈取られて、いかにもゴーストらしかい。それはヨチヨチ歩くと本に飛び乗り柏木を見上げた。

ークシュッ!

 そしてくしゃみをした。

「……かわいい」

 柏木が小さくつぶやいた。

(かわいい?)

 俺は心底驚いた。

 今まで数々のゴーストを見てきたが、そのおぞましい姿をかわいいと思ったことなどない。はっきり言うが、今、俺の目の前のこいつも決してかわいいわけではない。
 
 俺たちは顔を見合わせた。

 柏木はもう安心したような表情だ。安心するのはまだ早いんじゃないか。彼女は俺を手を握っていたことに気づいて慌てて離した。

「観音寺さん、これって何のゴーストですか」
「分かりません」

ーグワァ

 今度はあくびをした。

 顔がむけるかと思うほどの大あくびだ。赤い口のなかに白い牙が上下四本生えているのがよく見えた。これまで見てきた虫ケラのようなゴーストとは全く似ていない。

(やれやれ)

 マリさんの言っていた憑き物とはこいつのことだろうか。このゴーストが彼女の記憶と関わったものなのだろう。それが俺にも見えているということは、彼女の秘密に俺も関わってしまっているというわけだ。

 俺たちの見ている前でゴーストは本の端まで下がると両足を踏ん張りページの上に口をつけた。そしてゾゾゾッと文字を吸い込み始めた。

 ページ上の文字はまるで墨流しの絵のように幾筋もの線と化してそいつに吸い込まれていった。

(なんと! こいつが妖怪文字すすりやったんか)

 俺たちがあっけにとられている間にそいつは見開き二ページ分の文字をすっかりすすってしまった。

ーウップ

 そして小さなゲップをした。

 本から飛び降りると柏木を見上げて白紙になったページをトントンとたたいている。催促しているのだ。柏木は手を伸ばしてページをめくってやった。

 そいつはふさふさの尻尾をうれしそうにバタバタ振りながら本に飛び乗り、また文字をすすり始めた。

 遠くで雷鳴が鳴っていた。ゴーストが出るときには雷が聞こえるらしい。

2017年11月23日 (木)

桜火奇譚【1】文字消失事件13 白虎顕現その1

 柏木は毎日図書館に来ていた。

 俺の入った後から入館するようで気が付くと閲覧室にいることが多い。俺からもっとも離れた席に座るので気づきにくい。俺が座る場所を変えると、そこからもっとも遠い場所でなおかつエレベータの陰になる席を慎重に選んで座る。

(それで隠れているつもりなんか)

 どういうつもりなのか。

 しかもそっとこちらをうかがう気配がある。見張られているようで居心地が悪い。

 連休も半分が過ぎた。

 マリさんに出してもらった佐伯佑馬の著作はなかなかおもしろかった。皇国史観のリーダーらしい強引なところがあるが、それも彼の魅力だろう。なにより郷土に対する愛が深い。
 
(俺も佐伯党になってええかもな)

 その日は朝から雨だった。雨音が人の少ない閲覧室に響く。遠くで雷が鳴っている気がする。あたりが暗くなって雨足が強まった。

 柏木は熱心になにか読んでいる。また青い本じゃないだろうな。今日の彼女は白いシャツに青いカーディガンを羽織っている。

(やっぱり青や)

 青は木気の色だ。木気は生命の誕生を象徴するとともに疫病をも示す。顔が青いという表現は疫病が青いからだ。青を好んで着るのは、無意識に自分は病気ですと告白しているようなものではないか。実際、彼女の病気は姉や親友に気づかれている。隠しきれていないのだ。そんなものがゴーストになるだろうか。

 俺は頬杖をついて柏木を遠くから眺めていた。私服姿のほうがお人形のように見える。ひとえにあの髪型のせいだろう。ストレートな前髪をひたいで真一文字に切る必要があるのだろうか。

 うつむいているので表情は見えない。教室の彼女はいつも微笑んでいる。怒っているところなど見たことがない。そうした人当たりの良さが彼女の人気の素(もと)だ。でも先日の教科書を突き付けてきた剣幕を見れば、本当の彼女はもっと激情家なのではないか。

(あれ?)

 どうもおかしい。

 顔は伏せたままだがページをめくるようすがない。じっとうつむいたまま動かない。ひょっとしてまた黒い気を吹いているんじゃないだろうな。そう気づいて俺は眼鏡を拭いて目をこらした。

 暗くて気づかなかったが、彼女脳天から一筋の細く黒い気が噴き出していた。無風のときの風呂屋の煙突の煙のようである。

(やっぱり)

 また本を白化したに違いない。それでどうしたらいいか分からなくて固まっているのだろう。俺は立ち上がり机のあいだをすり抜けて彼女の元へ急いだ。関わらないと決めたことは忘れていた。

 彼女の前に立ってみたが、どう声をかけたものか少し迷った。でもやっぱり変だ。思い切って声をかける。

「おい、大丈夫か?」

 返事がない。よく見ると肩を震わせている。開いた本を見るとまだちゃんと活字はそこにあった。

「気分でも悪いのか? マリさんを呼ぶか?」

 マリさんを呼ぼうとカウンターを振り返ったとき手を握られた。俺が女子に手を握られたのはそのときが生まれて初めてだった。妹にさえ握られたことはない。驚いて柏木をみると蒼白な顔で俺を見つめる。

「行かないでください」
「はっ?」
「……たすけて」
「なに?」 

 大きな瞳に涙をいっぱい浮かべている。

「文字は消えてへんやないか」
「違うんです。文字やないんです。目なんです」
「め?」
「そう……こ、これ」

 彼女が目で示したページの上に小さな赤い目があった。

(なにこれ?)

 俺もぞっとした。ふたつの目玉はバラバラに行間を泳いでは彼女と俺とを交互に観察していた。

2017年11月22日 (水)

桜火奇譚【1】文字消失事件12 秘密

 十時をまわったころ俺は坂倉家を後にした。観音堂へ下りる石段で俺は背後に気配を感じた。どこか強い、そして静かな気配だ。観音堂の前で俺は振り返った。やっぱりマリさんだった。部屋着に着かえてどてらを羽織っている。風呂上りらしく洗い髪からシャンプーの匂いがした。

「俺に話があるんですね。それで夕飯に誘った」
「ごめんな。観音寺君に聞いてほしいことがあるんや」

 俺たちは桜の下の井戸に座った。井戸は厚い板でふたがされていて、その上に手押しポンプが据えられていた。そこに並んで腰を下ろすと、イワシ御殿の大きなシルエット越しにおとめ座のスピカが昇ってくるところだった。中国の星座で言えば二十八宿のうちの角宿だ。これは青竜の角であると言われている。春の第一星座である。

「観音寺君、二年になってからナルと仲良くしてくれているやろ。あの子なにか言うてなかった?」
「きのう、詮索するなと言われました」
「あらまあ、なにそれ?」
「いえ、あんまり仲良くないんですよ」
「そんなことないと思うけどな」
「いいんですよ。で、話って何ですか」
「それがな」

 マリさんは少し言いよどんだあと言葉を継いだ。

「あの子な、自分の病気を気にしてんねん」
「病気?」
「不整脈。原因は分からんのやけど、悪くなると走ることができなくなるんや」
「ほんまですか」
「まあ、成長期にはよくあることでな。普通は自然に治るんやけど」
「そうですか」
「でもあの子、ごっつう気にしててな。自分のタイムも落ちてるし」
「五十メートル五秒でですか」

 マリさんは笑った。

「ははは、ストップウオッチ計測は誤差が大きいからな。私だって五秒で走ったよ」
「さすがです」
「まあ、あの子は病気を気にしてるみたいなんやけど、誰にも言うてへんらしい」
「山本にもですか」
「サキちゃんにも言うてへん」
「秘密ですか」
「まあそうやな」
「俺は柏木におまえは秘密を抱えてるやろと言うてしまいました」

 マリさんが驚いて俺を見た。

「図星やないの」
「そうなんです」
「それで詮索するな、か」
「なんで俺に柏木の病気のことを話すんですか」
「なんか最近おかしいのよあの子」
「そうやろか」
「考えすぎてなにか悪いもんに憑りつかれているんやないかと思う」
「それで俺に」
「頼りにしてるで、探偵さん」
「詮索しない約束なんやけど」
「ふふ」

 そう笑ってマリさんはどてらのたもとから煙草を出した。赤いパッケージのチェリーだ。ちなみに俺は煙草を吸わない。当たり前だが。

 マリさんの手許でパッとマッチの火がともる。それも一瞬のことであたりはまた闇に包まれる。彼女が溜息をつくように煙を吐いた。白煙が静かに夜空に立ち昇っていく。俺はそれを眺めながら、本当の秘密はこの人が持っているんではないかと考えていた。

桜火奇譚【1】文字消失事件11 大食漢

「ただいま」

 若い女の声がして振り返ると勝手口にマリさんが立っていた。彼女は今、図書館に近い坂倉家に居候しているのだ。白いシャツにデニムのパンタロン姿だった。図書館のスモック姿もいいが白シャツ姿も絵になる。

「あら、観音寺君、来てたの」
「はい、ワカさんに蒲焼を焼いてもらうはずが自分で焼きました」
「ふふっ」

マリさんの目が黒縁メガネの奥でふんわりと笑った。

「遅いよマリ姉、早く運んでくれ」
「はいはい」

 マリさんは割烹着を被り三角巾を頭に巻いた。それはそれでよく似合っていた。彼女の働きはめざましかった。

 八重さんのよそったごはん茶碗を二枚の丸盆に目一杯載せる。いっぱい過ぎて茶碗が傾いている。それを両の手にひとつづつ持ってカタカタと下駄を鳴らして茶の間まえの板敷まで運ぶ。その間、茶碗が触れ合って鳴るようなことは一切無かった。

 板敷に上がった彼女は、お盆のひとつを音もさせずに取り上げ、次の瞬間には茶の間に並ぶお膳に茶碗が配られていた。その時、茶碗とお膳の触れあう音がトントンと小気味よく響いた。ぶれない重心、流れるような所作。

 八重さんは手を休めてその様子を眺めていた。今から思えば、そのころから八重さんは彼女を火の巫女と見込んでいたのかも知れない。まあその話は今回の事件とは関係がない。
 結局俺は夕飯を食べていくことになった。

「観音寺くんも食べていくでしょ」

 マリさんにそう言われると断れなかった。俺が時間通りに帰らないと母が心配するので事務所の電話を借りて連絡を入れておいた。

 柏木家で夕飯をいただくことはこれまでもあったが、マリさんと一緒なのは初めてだった。俺はそこでマリさんがとんでもない大食だったことを知った。

 茶の間には八重さん、マリさん、ワカさんと俺のほかに年配の場長と中年のボイラーマン、そして若い男衆(おとこし)六人が揃った。男衆は俺と同じ年代で中卒でここへ勤めている。その多くは県内の醸造家の子弟で、実家を継ぐまでここで修行中だ。

 こいつらはワカさんと野球部を作っている。俺も駆り出されたことがあって、それから仲良くしてもらっている。そんなことよりマリさんの食べっぷりだ。男衆たちはマリさんの気を引こうと何かと話しかけていた。いまは彼女がスターの久美かおりに似ていると盛り上がっている。久美かおりって誰だ。

「おまえ、そんなことも知らないのか」
「誰です?」
「タイガースの映画に出てただろ」
「観てません」
「オリよ、おまえそれで本当に高校生か」
「ほっといてください」

 マリさんはニコニコと受け答えしながらも、すでにウナギを半分以上食べていた。社交的な会食に慣れているのだろうか。俺は話もしていないのにまだ半分も食べていない。

 隣のワカさんもマリさんを眺めていたようが、俺の視線に気づいて慌てて箸をすすめた。ワカさんは八重さんと一尾を分けている。

「いや違うんや。これでウナギは三日目だから食傷ぎみなんや」
「そんなに豊漁なんですか」
「ああ、赤潮のせいらしい。代も末だと黒井のおやじが嘆いてたで」

 マリさんは男衆の茶碗に次々とごはんをよそっている。そのすきに自分も二膳目を食べ終えでいた。

「それにしてもマリさんよく食べますね」
「うちに来てからずっとあんな調子や」
「女の人がごはんを食べているところはエロいですね」
「ぐふっ」

ワカさんがむせた。

「おまえ、時々変なこと言うな」
「えっ、そうですか。さっき見とれてませんでした?」
「あ、あほか」

 この人が慌てるところを初めて見た気がする。

「ははは、冗談ですよ。真に受けないでください」

 食事のあと、俺はワカさんの離れでギターを習った。この人は学生時代にバンドを組んでいたギタリストなのだ。俺はギターを教わるかわりにこの人に竜笛を教えている。俺とワカさんは観音堂の囃子方なのである。

桜火奇譚【1】文字消失事件10 ウナギその2

 図書館からの帰りに俺はイワシ御殿へ寄った。ウナギを受け取るためだ。

 イワシ御殿は浜に面して建てられた古い建物だ。建てられたのは大正の初めだという。木造二階建てで正面を千鳥破風の車寄せで飾った温泉旅館のようなかたちをしている。

 御殿前の浜は雁木(がんぎ)という江戸時代に造られたの段があり、ここが港の中心だったことが分かる。
 浜から御殿を見れば背後に大きな桜の老樹が覆いかぶさるようにそびえていた。夕陽を浴びた若葉が風に揺れてキラキラと輝いた。

「で、木気を克すってどゆこと?」
「木気は五気のなかで一番若いんや。季節で言えば春やな」
「うん」
「人生で言えば青春や」
「俺たちか」
「まあ、そういうことになるな」
「克すってなんや?」
「克すっていうんは相手を殺すとか減らすとかいう意味や」
「物騒やな」
「克すのは物騒なことばかりやないで。流行り病は木気の働きやから、疫病避けの修法はもっぱら木気を克す形が多い」
「どうやって?」
「木気は金気に克されるんや。だから金気のものを供えて金克木の修法を行う」
「ふうん、五気それぞれに役割いうもんがあるんやな」
「まあ、そういうことや」

 黒井はひとしきり感心したあと付け加えた。

「それで、このゴーストには関わらないんやなかったんか」
「そうや、俺はもうこの件に関わるつもりは金輪際ないからな。そう山本にも言っとけ」
「げっ、なんでそれを」
「ふん、やっぱりそうか」

 分かりやすい男め。どうせ山本から相談を受けていると思っていた。

「柏木が字を消していることに山本も気が付いているんや」
「まあ、見てりゃ分かるわな」
「それで心配して俺に相談を」

そのとき後ろから声がかかった。

「楽しそうだな、少年たち」

 振り返るとワカさんが立っていた。

「なっちゃんがどうしたって?」

 ワカさんは柏木のことをなっちゃんと呼ぶ。

「いえ、なんでもないです。こいつが気のある子が柏木の親友だってことを話してました」
「おまっ、ちょ、ちょっと、ちが、違うんです。ワカさん違いますから」

柏木のことを聞かれただろうか。黒井の狼狽のおかげでうまくごまかせたと思うがどうだろう。真相が不明なうちから話が広がるのは避けたい。表向き俺は手を引いたことになってるしな。

「ははは、で、俺もウナギを頂戴にきた。そうだオリ、今からウナギをさばくから、それを持って行けばどうだ」

ワカさんはそれ以上、ゴーストのことを聞かなかった。ほんとうに聞かなかったのか、それとも知らんふりをしているのか。

 それから俺はバケツいっぱいのウナギを持たされてワカさんの坂倉家へ行くことになった。イワシ御殿の井戸端から石垣の急な階段を登ると観音堂の前だ。すでに夕闇が濃く桜の木陰に観音堂が黒くうずくまっていた。俺はワカさんを手伝ってお堂の戸締りをすませると如意輪観音のマントラを唱えた。

「そうやっているのを見ると、お前も行者みたいやな」
「本物の行者ですから」

 お堂裏の階段を上るとそこに坂倉家があった。平屋建ての古民家だ。大きな三和土(たたき)の土間があり、古いカマドも残っていた。それは年末の餅つきくらいしか使わなかった。

 料理はもっぱら壁際に並んだプロパンのガスコンロを使った。坂倉家には酢蔵の男衆がいたが、その賄いをこれから作るのだ。料理はワカさんの役目だった。

「あれ、若坊(わかぼん)、来てたのかいな」
「こんばんは。ワカさんに蒲焼を焼いてもらうんです」
「そうかい。ワカは料理だけはうまいからね」

 奥から八重さんが出てきた。縞絣の小紋にエンジ色の帯を締めている。彼女はワカさんの祖母だ。ワカさんの両親は早く亡くなっていて、彼は八重さんに育てられた。

「うるさいよババア、早く飯を炊けや!」
「女将とお呼び」
「きょうもウナギなんや、手が足りへんのや、女将」
「はいはい」

 八重さんはタスキで着物の袖をたたみながら土間へ下りてきた。茶の間の古い柱時計がボーンと六時半を告げた。外は暗くなり始め、土間の裸電球が輝きを増した。

 ワカさんが目にも止まらぬ速さでウナギをさばいていく。俺は串を刺す役目だがそれが間に合わない。あっという間に十匹以上のウナギをさばき終えると、今度は外へ出て七輪の豆炭に火を入れた。

 俺が串刺しにしたウナギを運ぶと、井戸端の裸電球に照らされたコンクリート土間に置かれた十台ほどの七輪が赤い炎をあげていた。小一時間ほどで夕食の準備ができた。

2017年11月15日 (水)

桜火奇譚【1】文字消失事件09 簡単な修法その2

 大きな装丁用の作業机にいくつか本が並んでいた。きのう柏木が白化させたものもある。呼ばれた理由ははっきりしている。もう関わらないと高々と宣言したばかりなのにこれだ。先が思いやられる。

「この本をどうにかしたいのですね」

 ワカさんが答える。

「まあ、これ以上増えなきゃそれでええねんけど。今のところ開架だけなんで破損ですむしな。でも歴史資料へ被害が及ぶと図書館存続の危機となる」

 この人、危機というわりには緊張感がないな。
 まあ、それがこの人のいいところだけど。

「それやったら、この本の閲覧者を出入り禁止にすればええやないですか」
「閲覧者?」

 今度はマリさんがきまり悪そうに顔をそむけている。
 柏木のことは秘密にしているのか。

「あの残っていた青い丸帽の持ち主のことか? 見たところ女物のようやけど。で、犯人は何のために本を消すんや」
「目的は分かりません」
「そうか。で、閲覧者ってだれ?」
「……さぁ」

 俺もとぼけておいた。
 マリさんがワカさんに分からないよう手を合わせている。
 後でわけを聞かなきゃ。

「それで君は、文字の消えた本を元に戻したそうやな。もし戻せるものならやってもらえんやろか」

 机の上には五、六冊の本が並んでいた。手前には先日柏木が文字を消した本があった。擦り切れた青い布地表紙の本だ。金文字で書題が入っている。サマセットモームだった。中は白紙だった。

(彼女こんなん読むんや)

 興味を惹かれてその隣の本を手にとった。こっちはジャック・フィニイの「ゲイルズバークの春を愛す」だった。

(趣味が渋いな)

 青い表紙の新書版で中はまっしろ。

 その隣はメルヴィルの「白鯨」だった。だんだん趣味が分からなくなっていく。上下本の上巻だ。読み始めたところだったのだろう。濃いブルーのハードカバーの……

(あれ?) 

 全部表紙が青いじゃないか。そういえば日本史の教科書も青かったな。

「どうかしたんか。何か分かったんか?」

 手の止まった俺にワカさんが尋ねる。

「いえ、全部青い本やなと思って」
「そういえばそうやな。青本が白本になったってわけか」

(なるほど)

 この人、見かけによらず鋭い。このゴーストには「文字が消える」のほかに「青本が白本になる」という特徴があるわけだ。このゴーストは青いもの、つまり五行の五つの気のうちの木気を克しているわけだ。克すとは殺すとか減らすとかいう意味だ。

 「文字が消える」とは記憶を消したいという意味だった。では木気を克すとはどういう意味か。木気にはふたつの大きな意味がある。ひとつは大地の女神に関わるもので、もうひとつは疫神に関わるものだ。柏木はそのどちらかに関わっているのだろう。それがこの事件を解くカギだ。
「なるほどね」

 俺は皆を見回して言った。

「活字は無くなってるわけやないんですよ。見えなくなっているだけ。時間が経てば自然に元に戻るし、なにかショックを与えれば元に戻ることもあります」

 そう言ってから俺は一冊づつ元に戻していった。

2017年11月14日 (火)

桜火奇譚【1】文字消失事件08 館長代理

 閲覧室に入るところを呼び止められた。黒井の妹のハルだ。

「オリさん、ちょっといいですか」
「おはよう。さっき黒井にウナギをもらった。帰りによるから」
「兄ちゃんですか。なんでも最近ウナギが大漁やそうです」 

 ハルもマリさんと同じような修道女スモッグを着ている。彼女は中学生だが、ここをよく手伝っている。彼女も中学の陸上部でマリさんがそっちのコーチも引き受けているらしい。

「で、なんや?」
「館長さんが書庫でお待ちです」
「館長……?」

 俺はハルに連れられて初めて書庫へ入った。ワクワクする。

 円形エレベータに乗るのも初めてだ。完全な手動エレベータで、外の格子とカゴの格子を自分で閉める。ハルは手慣れたようすで行き先のボタンを押す。そして真鍮製のレバーを回すと動き出した。

 ガチャリ

 エレベータが下階に着きハルが格子の扉を開いた。
 あたりは薄暗かった。天井の高さは三メートルくらいで、ぎっしり本の詰まった書棚が見通しを遮る。蛍光灯の弱々しい明かりが点々と灯り、その下だけ足元がはっきり見えた。

(まるで本の迷宮やな)

「オリさん、早く」

 あたりを見回していたら遠くからハルが呼んだ。あわてて追いつくと目の前に大きな鉄扉があった。装丁室と書かれた木札が掛かっている。その横に小さなくぐり戸があり俺たちはそこから中へ入った。

 そこはさほど二十平米ほどの広さの部屋で両側を書架が埋めていた。書架には修理待ちの本が積まれていた。ほとんどが和綴じの資料類で、おそらく佐伯の集めた歴史資料類なのだろう。

 書庫に通じる鉄扉と向かい合うように大金庫があった。貴重書庫かなにかなのだろうか。高さが三メートルほどある大型の黒い鉄扉で、真鍮製のレバーとダイヤルが付いている。

「ワカさん、オリさんをお連れしました」

 驚いた。この人は造り酢屋の若旦那だ。長身長髪で今流行りのグループサウンズのアーチストみたいな軽薄な格好をしている。およそ「館長」とは縁遠い風貌だ。

「驚きました。先輩が館長なんですか」
「別にええやろ。理事のなかで俺の家が図書館に一番近いんや。それに館長やなくて館長代理やで」
「似合いませんね」
「ほっとけ」

 傍らに立つマリさんが噴き出した。マリさんの柏木家とワカさんの坂倉家は親戚だ。いずれも桜湊の旧家である。

(まあ、ここにいる四人はみなこの町の旧家やけどな)

 ワカさんが気を取り直して話し始めた。

「いや悪いなあ、こんなとこへ呼び出して。君を怨霊御霊探偵と見込んでちょっと頼みたいことがあるんや」

 嫌な予感がした。

「お断りします。それに怨霊御霊ではなく陰陽五行です」
「にべもないな」

 ハルがいたずらっぽく笑っている。

「オリさん、探偵であることは否定しないんだ」

 俺が返答に窮しているとマリさんが話を続けた。

「ごめんね観音寺君、ちょっと困ったことになっててね。話だけでも聞いてくれへんかな」
「まあ、聞くだけなら」

 この人、ずるいな。
 というか、
乗せるのうまいな。
 さすが佐伯党。

2017年11月11日 (土)

桜火奇譚【1】文字消失事件07 ウナギ

 翌日、俺が図書館へ降りる途中いつものように観音堂でマントラを唱えていると後ろから声がかかった。黒井がイワシ御殿の雨戸を開けているところだった。
 イワシ御殿は浜に建っているので、この広場にはその二階が面している。二階は大広間になっていて、広場に面して腰掛窓が続いていた。ちょうど広場に面した桟敷のような造りだ。黒いが手を止めて言った。

「早いな」
「お前こそ」
「俺はもう一仕事してきたんや。ウナギがあるからええのを選んでいけや」
「分かった」

 朝から予定が狂うのは困るが、ウナギならば十分引き合う。それに面倒な柏木がきょうも来ているかも知れなかった。
 イワシ御殿裏の井戸端で洗濯機が音を立てていた。その横の大きな金タライにウナギが泳いでいた。

「なあ、なんで柏木が犯人だって分かったんや?」
「お前もか」
「なにがや」
「いや、昨日柏木にも同じこと聞かれた」

 黒井が怪訝な顔した。

「なんでまたわざわざ自分から出向くんや?」
「知らんし興味もない」
「で、なんで分かったん?」
「自分の名前だけが消えてなかったからや」
「あっ、そうか」

 黒井が感心している。

「誰でも気づくことや」
「そんなことないで、さすが怨霊探偵や。それで秘密って何なん?」
「詮索するなって釘をさされた」
「誰に」
「柏木に」
「ふーん」

 黒井が意味深にニッと笑った。

「それってお前に構ってほしいんやないか」
「詮索しろってことか。言うてることと真逆やないか。あほらしい」
「まんざらでもないくせに」
「違う! あほか」
「で、秘密があるとなんで文字が消えるんや?」
「ゴーストはな、人の強い想いが隠されたときに現れるんや」
「ねるほど」
「柏木は何か秘密を持ったんやろ。知ったことを後悔した。それを忘れてしまおうとしたんやろな。そうしたらゴーストが出た」
「じゃあ、秘密を誰かに話せばゴーストは無くなるわけやな」
「まあ、そうなるな」
「で、お前はどうするんや」
「知らん。俺はひとの秘密に興味ない」
「うそつけ」

 たしかに柏木のゴーストに興味がないというのは嘘だ。こんな風にはっきりゴーストを見たのは初めてだった。これまではモヤモヤした霧のような黒い気や小さな虫のようなゴーストしか見たことがなかった。文字が消えるというような体験は初めてだ。ただし、今の状態のままではこのゴーストがどういう性質のものなのか不明確だ。

「でもな、今のままではどうしようもない」
「なんでや?」
「ゴーストが五行のうちの何の気か分からんからな」

桜火奇譚【1】文字消失事件06 司書

 閲覧室は天井が高く、二百席ほどの広さがあった。部屋の中央に下階へ降りる円形の大型エレベータと螺旋階段があった。
 エレベータは図書館開設当時からのもので重量物用の油圧式だった。エレベータシャフトと階段手摺は世紀末ウイーンにでもありそうな見事なゴシック風の鋳鉄飾りに覆われていた。それを取り囲んで円形の貸出カウンターがあった。

「おはよう、観音寺君」
「マリさん、おはようございます」
「きょうも『峰合記』?」
「いえ、きょうは佐伯先生の本をお願いします」

 司書のマリさんは体育の臨時教員でもある。先日柏木がインターハイ並みの記録を出したときの女子担当教員だ。そして柏木の姉である。
 妹同様、背はさほど高くない。ストレートの髪を後ろで束ね、度の低い黒縁の眼鏡をかけている。そして修道女のようなスモックを着ていた。
 彼女はこう見えて新進気鋭の民俗学者だ。司書を続けながら代用教員も務められるのは、柏木家がこの図書館の理事に根を連ねる有力者だからだ。

「へぇ、君もとうとう佐伯党になったんか」
「マリさんほどやないですよ」

 佐伯党とは室町時代にこの港町を根城にして瀬戸内海を荒らしまわった海賊衆のことだ。その末裔とも言われる佐伯佑馬は地元出身の高名な歴史家だった。戦後に公職追放され彼の著作は国粋主義的と批判され多くの図書館で破棄された。でもここには彼の著作がほぼ揃っている。

「まずは桜湊略史をお願いします」
「分かったわ。下から取ってくるから少し待ってて。そのあいだに閲覧票を書いておいて」

 植物飾りのついた鉄格子のシャフトをマリさんを載せた鳥かごのようなエレベータが沈む。カゴが完全に消えた時、俺はシャフトごしに柏木を見つけた。

(驚いたな、帰ったんやなかったのか?)

 なにかを一心に読んでいる。

「ナルやな。最近 あの子ときどき来るんよね」

 戻ってきたマリさんが言った。

「これが略史よ。大切な本だからカウンター前で読んでね」

 俺がそれを受取ろうとしたとき聞き覚えのある音が閲覧室に響いた。
 
 パーン!

 教室と違って天井の高い閲覧室ではその音が何倍にも大きく鳴り響いた。音の鳴ったほうを見ると柏木が両手で本を押さえて呆然としていた。

「なにかしら」

 マリさんが立ち上がったとたんに柏木が逃げた。
 
(さすが陸上部! 逃げ足も速い)

 バルコニーへ出たから、そこから地上へ降りたのだろう。

「なにがあったのですか」

 マリさんが柏木の読んでいた本と青い丸帽を持ってきた。

「困ったわ。またこれよ」

 本の中がまっ白だった。

桜火奇譚【1】文字消失事件05 図書館

 俺の家は観音寺という古い寺で、俺はその跡取り息子だ。高校へ通いながら密教系の修法を学ぶ行者でもある。

 連休初日の俺はいつも通り起床して、いつも通り朝食を済ませると図書館へ行く準備をしていた。寺は港に面した斜面の中腹にあった。俺の部屋は寺の端にある潮音閣という離れだ。開け放した窓から桜湊の町が一望できる。海から潮の香りを含んださわやかな初夏の風が吹き上がってきた。

 桜湊は両側を岬に囲まれた天然の良港として古代から栄えた。湾内は今、埋め立て事業が進んでいる。大阪万博までに操業を始めるらしい。町内の繊維系の工場のほか、他府県から石油化学系の工場も入るらしい。柏木の実家の桜華人絹も大きな工場を建てると聞いている。

 汽笛が聴こえフェリーが出るのが見える。八時半の初便だ。もうそろそろ出なくてはならない。図書館はフェリー乗り場近くにあった。掲揚台に国旗が揚がるのがここからも見える。俺は制服を着こみ鞄を掴んで家を出た。門の前で振り返ると本堂に向かって手を合わせ観音のマントラを唱えた。

 観音寺の本尊は如意輪観音だったが、戦時中の混乱で失われたままだ。今は別尊をご本尊として祀っている。俺は仏像がなぜ失われたのか調べているが、それが分かるのはこの話よりずっと後のことである。

 坂道はS字を描いて下っていく。斜面なので道は石垣を縫うように進む。まるで城郭のようだ。実際室町時代の桜湊は佐伯党と呼ばれる海賊衆の海城だった。

 最初の大きなカーブにさしかかった。寺門からここまで三百二十歩。そこに長屋門を備えた旧家がある。ここが柏木家だ。今は岬の向こう側で操業している桜華人絹の工場横の新宅に移っている。だから俺は柏木のことを知らずにきた。

 次のカーブまで五百七十歩。そこに三角形の広場があり大きな山桜があった。今はすっかり葉桜で初夏の陽射しをキラキラと反射させている。老樹の下に石組みの井戸がありその隣に小さな観音堂があった。

 このお堂は桜湊のもうひとつの旧家である坂倉家の所有で、観音寺がお祀りしている。もうすでに扉が開けられ、掃き清められた堂前の石畳に打ち水がされていた。俺は両手を合わせると再び観音のマントラを唱えた。

 広場に面した大きな木造家屋はイワシ御殿と呼ばれる漁協の建物で黒井の家だ。そこから駅へ抜ける路地がある。醸造家である坂倉家の酢蔵の裏を通ると七百三十歩で踏切に出る。踏切手が遮断機を上げるのと俺が踏み気を通過するのが同時だった。予定通りだ。ここから二百歩ほどで図書館にたどりつく。

 図書館の門を入り広い前庭を通り抜けて玄関ポーチにたどり着いた。ちょうど開館時間だ。扉はすでに開いていた。

 図書館はスクラッチタイルを貼ったアメリカンゴシック様式の三階建てだ。尖頭アーチが並び、随所でガーゴイルの装飾が吠える。いかにもゴーストの好みそうな外観だ。ここは戦前に建てられた私設図書館で、小規模ながら地域史のコレクションが充実しており遠方からも利用者がある。

 ひんやりとしたタイル床の玄関ホールに足を踏み入れた。玄関ホールの大きなアーチ窓には桜の木をかたどったステンドグラスがあった。朝陽に照らされて七色の光が白大理石の床いっぱいに踊っていた。いつもながら美しい。そのとき後ろから呼び止められた。

「観音寺さん」

 驚いて振り返ると薄いブルーのワンピース姿の柏木が立っていた。私服を見るのは初めてだった。青い丸帽をかぶっている。彼女は無表情のまま俺に近寄るとみけんにしわを寄せながら言った。

「お尋ねしたいことがあります」
「なに?」
「なんで文字を消したのが私やと分かったんですか?」
「なんやと思ったらそんなことか」

 柏木が俺をにらむ。黒い気が鼻や耳の穴から細い糸のように噴き出している。おもしろい。

「笑いごとやありません。答えてください」
「そんなことは簡単や。おまえの名前だけ消えてへんかったからな」
「あっ」

 柏木が口に手を当てて固まった。黒い気が行き場を失ったようにフラフラしていたがシュッと引っ込んだ。器用なやつだ。俺はフリーズしたままの柏木を置いて二階へ上がる階段に向かった。

「待ってください」

 振り向くと柏木が真剣な顔で言った。

「いいですか。うちの事はほっといてください。詮索はなしですよ」
「ああ、分かった。おまえの秘密に興味はない」

 柏木は俺の言葉が本当かどうか見極めるようとするように俺を睨んでいた。

(あほらしい。妖怪文字すすりになんか関わっていられるか)

 そのまま俺は二階の閲覧室へ向かった。

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