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2007.05.09

05 時計台の謎ふたたび|京都大学時計台(京都市)

06

 時計台のもうひとつの謎はその配置にある。武田は単純な幾何学的処理によって建物のかたちや敷地内の配置を決めている場合が多い。この時計台の形やキャンパス内の配置を武田はどうやって決めたのだろうか。これが今回の謎である。

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 まず時計台(旧本部本館)のかたちと周辺マップを確かめておこう(上図参照)。時計台の前には、京大のシンボルとなっている大きなクスノキがある。徳富蘇峰の父・徳富一敬が寄贈したものだそうだ(ただし現在は二代目)。植樹年代はよく分からないが、だいたい1922年ごろ。旧本部本館が焼けたのは1912年だから、これが植えられたときその北側は空き地になっていたわけだ。
 大クスの前には正門。ほかの古い建物は、時計台の北側に法経済学部本館(1933ー38)、西側のレンガづくりの旧三高校舎(1889)、南側に旧電話交換室(1925ー36)と旧車庫(1936)など。
 一見して分かるように、時計台、大クス、正門が直列している。これが大きなヒントだ。

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 わたしが最初に考えたのは、門と大クスと時計塔とが等間隔に並んでいるのではないかということだった(上図参照)。大クスを中心に武田はキャンパス計画を構想したのではないか。この考えは、ある意味正しくある意味間違っていたが、とりあえず推理を進めてみよう。
 武田は方眼紙の上で構想を練ることが多い。つまり正門から大クスまでの距離の当てはまる方眼紙を想定すれば、武田がなにを基準に時計台のかたちや配置を決めたのか分かるのではないか。そう考えて描いたのが次図である。

03

 どうもしっくりこない。確かにこの方眼紙だと時計台のタテの線はぴったりだ。しかも西側の旧三高のラインも方眼に載ってくる。あながち間違っているわけでもなかろうが、肝心の時計台のヨコの線が合わない。方眼をいろいろ調整してみるのだが合わない。どこか推理の過程で見落としがあるのだ。どこが間違っていると言うのだ。わたしの推理は行き詰まり、本件は迷宮入りかと思われた。捜査は振り出しに戻ったのである。

04

 もう一度、時計台のかたちをよく見てみよう(上図参照)。武田らしい単純な決め方をしているはずだ。まず気づくのは、四角い部分が同じ大きさの長方形6つで構成されていることだろう。北側の円形教室の部分も、その長方形の長辺を半径とする円のように見える。どうやら武田は、この長方形を基準に時計台のかたちを決めたようだ。この長方形はなにか。ああそうだった。わたしは、なぜこんな重要なことを見落としていたか。もうお分かりだろうか。そう、これは黄金比なのである。

05

 この長方形を延長すればずべてがおもしろいように納まった(上図参照)。武田は正方形方眼を使わず、黄金比方眼を使っていたのだ。おそらく、この長方形を8等分したものが最小単位。車寄せは2単位で塔は1単位だろう。これなら塔の平面が正方形でない理由も分かる。
 時計台の前庭は、大クスで左右に分けられるが、東西それぞれの前庭も黄金比となる。そして大クスそのものも、前庭の正しく中心に納まるのである。やはりこの大クスが計画原点だったわけだ。
 南側の電話交換室や車庫は前庭の外に配置されており、北側の法経済学部もこの方眼上にあるように見える。武田はこの黄金比方眼紙を京大全体のキャンパス計画のベースに使おうとしていたのかも知れない。

 後年武田は、土木学会の講演で若い構造家たちに橋梁の美について語ったことがある。そのとき黄金比を「ダイナミックシンメトリー」として紹介している。ダイナミックシンメトリーとは自然界に見られる物理的な黄金比数列のことであり、人間の美意識に関係するらしい。このダイナミックシンメトリーを橋梁設計に当てはめれば、構造的に正しくしかも美しいデザインが生まれるというわけだ。
 この法則を武田はキャンパス計画に使ったわけだ。おそらく時計台の立面もダイナミックシンメトリーになっているのだろう。正しくあれ、そして美しくあれ。つまりこの時計台は、武田が弟子たちに示した黄金律だったというわけだね。

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