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2007.04.25

04 銀の橋の謎|桜宮橋(大阪市)

Ginbashi

 これは銀橋(ぎんばし)。大阪城の北側、旧淀川にかかる鉄橋で、正式名称は桜宮橋(さくらのみやばし)。アーチ部分は104メートル。1930年に完成、当時日本最大のアーチ橋だった。そのころ各地では、都市計画法に基づいて橋のかけかえが進められていた。ここ大阪では、市役所の橋梁課がその任に当たっていたわけだが、それを指導していたのが武田五一だ。大阪の橋は、武田の考えに従って、他都市とは違うモダニズムの領域へ進むことになる。この銀橋は、彼ら武田グループの代表作のひとつというわけだ。

 以前から気になっていることがある。武田はこの橋を都市門として構想したのか、という謎だ。大阪を貫流する旧淀川にアーチ橋は多いが、ほとんどが道路下にアーチを隠している。銀橋のように道路上に高々と鉄骨を上げているのはふたつ。上流の銀橋、下流の堂島大橋だけだ。ふたつの鉄橋が大阪の入口に当たる場所にかかっている。これは大阪の都市門ではないか。

 大都市では橋が門の役割を果たすことが多い。サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ、ニューヨークのブルックリン橋、ロンドンのタワーブリッジ。いずれも大がかりな工業化社会の到来を印象づける巨大橋だ。産業革命を経験した諸都市はそろって、そんな都市門をもっている。武田グループは、そうした都市門に銀橋をなぞらえたのではなかったか。

 武田たちがアーチを隠したかった理由は、橋の上からの眺望を重視したためだ。橋の上に何もないほうが眺めが良い。この眺望重視の考えは、江戸時代の水上遊覧文化が背景にあるとわたしは思う。ヨーロッパ諸都市でも眺望の良い橋は多い。水上遊覧の文化は西洋にもあったわけだ。

 ただし、ヨーロッパ諸都市では水面と地上との距離がもっと大きい。大阪はほとんど海抜0メートルみたいなところだから、道の下にアーチを仕込むのはけっこう大変なのだ。事実、武田グループが手掛けるまで旧淀川の長い橋はほとんど汽車の鉄橋のようなトラス橋だった。

 武田グループは無理を承知でアーチを隠した。だから天神橋などは、ものすごく扁平なアーチになっている。リンボーダンス型と名付けてもよい。それはそれでおもしろいのだが、とにかく武田グループは道の上にあるじゃまものを消去したかったのである。それでも、このふたつだけ大アーチとした。偶然にしては、できすぎている。

 銀橋をもう一度よく見てみよう。この橋の見どころは多いが、わたしは恐竜のろっ骨のような鉄骨を見上げたこの構図が好きだ。繰り返しと変化、しかも鮮やかな銀色。とてもきれいだ。よく見てほしい。部材と部材の取り付け部分がすべて曲線になっている。これは見られることを配慮した結果だ。見えないなら、こんな面倒な加工をわざわざする必要はない。この橋はすみずみまで念入りにデザインされている。全体のプロポーション、部材の間隔、各部の取り付け方。この橋はどこから見ても美しいように計算され尽くしているのだ。これが武田たちの仕事である。

 武田が橋梁美について語った文章がある。わたしが大阪の橋のことを話したら、とたんに悪いきつねさんがサルベージしてきてくれた。彼こそ武田研究の重宝部員だ。その文章は土木学会での講演録。この中に謎を解く鍵が隠されていたのである。

(つづく)

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