09 幾何学の迷路 / 京都府立図書館その2
目玉飾りの解析をする前に、再び誤解を解かねばならない。今残っている外壁は武田の設計したそのままではない。竣工後の度重なる改修で変わったところがある。だから現存部をもとに考えをすすめても武田の考えに届かない可能性があるのだ。
どこが変わったのか。竣工時の写真をもとに復元してみた。2枚を見比べて間違いさがしをしてほしい。答えは次回に掲載するとして話を進めよう。復元された目玉飾りは図のとおりだ。今は円の下のふさ飾りが脱落している。この復元図をもとに武田がどうやってこの装飾を描いたのかを見てみよう。
まず円を描く。この装飾は目玉に見えるが本当はリース飾りだ。上下左右を布で縛りその中間2ケ所をX字にひもで結んでいる。円の上にひさしがある。それは円弧と水平線でつくられている。円弧と水平線との交点はどうやって決めたのか。このあたりが武田らしい。武田は円に内接する正六角形を描いて、その頂点と円の中心を結ぶライン上にその交点を置いた(図)。それを反対方向へ延長すれば、ふさ飾りの2ケ所の頂点も描ける。武田はこの目玉飾りを正六角形を基本に描いたようだ。
正六角形、つまり亀甲紋(きっこうもん)。亀のこうら模様のことだ。だからわたしは思う。床下換気口の鳥は孔雀ではなく鶴なのだと。この図書館は日露戦争を記念して建てられた祝祭建築でもある。鶴は千年亀は万年というシャレになっているように見えるのだ。武田らしい江戸趣味的な言葉あそびだ。
さて、この図書館はあらゆるところに六角形が登場する。なぜ六角形なのか。亀甲紋の縁起をかついだことは間違いなかろうが、縁起のよい形はほかにもいろいろある。なぜ武田は六角形を選んだのか。それを解くカギもやはり目玉飾りに隠されている。
よく見てみよう。なぜただのリース飾りが目玉に見えるのか。それは円の中心に小さな円があるからだ。この小円はいったいなにか。わたしも最初この意味に気づかなかった。六角形を描いてみてようやく気づいた(図)。お分かりだろうか。そう、これは鉛筆の芯なのである。
この図書館は京都の伝統工芸の近代化を主な目的としていたことはご紹介した。若い職工たちがこの図書館で当時ヨーロッパで流行しているデザインを勉強するのである。画工と呼ばれたデザイナーたちは当然、筆で図案を描く。ただし武田たちの始めた新しいデザイナー教育は鉛筆を使った。それはヨーロッパと同じ教育方法を採用したからだ。ヨーロッパのデザイン教育の実態調査を日本で初めてまとめたのが武田だった。
余談だが、日本で最初の国立の美術学校をつくった岡倉天心は美術教育から鉛筆を追放した。道具が違えばそこから生まれる作品も変わる。日本の芸術教育に鉛筆は不要というわけだ。この考えにそれまで美術教育を担っていた浅井忠ら洋画家が猛反発して鉛筆論争が繰り広げられた。その後岡倉は美術学校を去り浅井が美術学校の教授となった。鉛筆は解禁され浅井は京都高等工芸学校へ転任するわけである。鉛筆を使うことの意味が問われた時代だったのだ。
鉛筆を使うことは武田たちの教育方法の大きな特徴だったというわけだ。だから武田は図書館の両肩に鉛筆を一段高く掲げたというわけである。まあ、そんな風に見えるってことだけどね。
などと考えながら壁面を調べていて、またまた興味深いものを発見した。それはこれだ(写真)。窓枠に唐突に現われたこの小円はいったいなんだ! この謎解きは次回!
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